これは実話を基にしたフィクションです。
とは書かれていないのだが、北九州で起こったあの事件のことだとはすぐにわかった。
北九州監禁殺人事件はたくさんの被害者を出し、今なお真相が明らかになったとは言い切れない。
語るに恐ろしく、あまりにおぞましい事件なので、ここでも詳しくは書かないが、その事件はマスコミがしばらくの間は報道できなかったほどだ。
これが日本で起きていたから恐ろしい。
僕の周りにも、犯人のような人物はいるかもしれないのだ。
事件のことを知り、2つのことを思った。これは同じように思う方もいるだろうと思う。
1つは人間はここまで残酷になれるのだろうかという疑問だ。
犯人は巧みに責任を転嫁して罪悪感を被害者になすりつけている。こいつ(他の被害者)がひどい目にあうのはお前がへましたせいだ。それを繰り返すと次第に被害者同士が憎しみあう。
とても卑怯なやり方に怒りが込み上げるのだが、このような話はマインドコントロールの手法で聞いたことがある。その頭の良さを他に活かせなかったのか。
もう1つは被害者は逃げられなかったのか、という無念さだ。
これは当事者じゃないとわからないことなのだろう。
この本を読んでいた時、この事件についてテレビで再現VTRを放送していた時、何度も「逃げろ」と叫んでしまった。
被害者のうちの一人はたまに外に出る機会があった。もしその時に僕が近くにいたら気づけたのだろうか?気づくことができても何かできたのだろうか?
何もできないであろう自分に、何もできなかったことに、罪悪感を感じてしまった。
何にせよ、感情を激しく揺さぶる本は名著である。
さてそろそろ本の話をします。
と言っても今回はあまり語ることがありません。
あの事件を再現、検証するには誉田哲也さんの筆力は充分過ぎますし、扱う事件のインパクトが強すぎて詳しくは書けないです。
弱点があるとすれば、表紙から、そして1行目からこの後に訪れる惨劇を想像させてしまい、読む手を鈍らせてしまうことでしょうか。
後半、僕は事件の真相よりも著者のことが気になっていました。
なぜ、この本を書こうと思ったのか、これを書いていて平気だったのか、とても気になったのです。
これを書くということは著者の脳内に、あの惨劇が繰り返されるということです。
それに耐えうるには無になるか、それとも強い目的を持つしかないと思うのですが。
いつか誉田哲也さんから語られるのでしょうか。
しかし、語られたとしても、もう一度本書を読むのはごめんです。